感謝!

 10月に入り朝晩は涼しくなり、秋を感じられるようになりました。
 新型コロナウィルスの感染拡大の影響はアイスホッケー界も例外ではなく、全国で大会等が中止になり、練習もできなくなりました。当チームも活動を自粛していましたが、緊急事態宣言が解除され、リンクの営業が再開された6月から練習を再開しました。まだ感染拡大防止のためリンクの使用に制限がある状況ですが、子供たちの元気な姿がリンクに戻ってきたことは嬉しい限りです。全国的に似たような状況と思われますが、アイスホッケー界において大規模なクラスターを発生することがないように最大限の注意を払って活動しなければなりません。新型コロナウィルスとの戦いに打ち勝ち、再び平穏な生活を取り戻せる日まで力を合わせてがんばりましょう!
 さて、前置きが少々長くなりましたが、ここからが本題です。
 私は、一身上の都合により、令和2年(2020年)3月31日をもちまして、神戸ポートアイランドジェッツジュニアの代表兼総監督を辞任いたしました。
 知っている人は知っている事実なのですが、ブログで報告するのをすっかり忘れていました。申し訳ありません。
 私は、コーチとして12年、監督として18年、合わせて30年間活動させていただきました。せっかくなので、30年間を振り返ってみたいと思います。私事で恐縮ですがお付き合いください。
 私は、大学を卒業した1990年に当時のS監督の誘いでコーチを始めました。コーチ時代はS監督より「防具を付けて氷に乗って教えてあげて欲しい。」と言われていたこともあり、個人スキルを体で教えるデモンストレーター兼中高生のマッチの相手といった感じでした。また私自身も現役のプレイヤーであったため、子供たちと一緒に走って汗を流していました。当時は基本スキルの向上に重点を置き、システムなどのチームスキルの練習はあまりしていなかったと思います。1人か2人のスキルの高い選手の個人技に頼ったプレースタイルであったため、主要な大会で優勝することはできませんでしたが、チームの雰囲気は良く、楽しみながら指導していたことを憶えています。
 創部20周年となる2002年、S監督が兵庫県アイスホッケー連盟の理事長に就任することになり、S監督の指名を受けて代表兼監督に就任しました。監督就任にあたり、私は「このチームを勝てるチームにする。」と誓いました。コーチ時代に対戦相手が『ジェッツや。楽勝!』などと話しているのを聞き、「何を!(怒)」と思うもやっぱり勝てず、悔しい思いをしました。そんな情けない経験から「俺が監督になった限りはそんなことは言わせない。対戦が決まった瞬間に相手が諦めるような強いチームにしてやる!」これが私の目標になりました。
 『チーム力で勝つ!』ホッケーを目指し、基本スキルの向上・強化と合わせて基本的なシステムの指導を始めました。この時期、前任のS監督と一緒に育ててきた能力の高い子供たちが小学校高学年と中学生になっていました。意識が高い子供が多く、私が指導し始めたシステムにも順応し、メキメキ上達していきました。
 監督就任2年目の2003年12月、小学生が近畿大会で初優勝を果たします。ゲーム終了のブザーを聞いた瞬間の感動は今でも忘れられません。初優勝の余韻に浸りながら会場を出ようとしていた時に、チームの創始者であるN元監督からの電話で「おめでとう。やったな。」と労っていただき、思わず涙したことを憶えています。翌2004年3月の西日本大会は中学生・小学生ともに3位、西日本大会で3位になったのも初めてのこと。自分自身『行ける!』という自信を持ち始めたシーズンになりました。
 そして2005年の第14回近畿大会で中学生と小学生がアベック優勝、翌2006年の第33回西日本大会では中学生が初優勝を果たします。中学生は2006年の第15回近畿大会を連覇、続いて2007年の第34回西日本大会も連覇します。その後も中学生は2008年と2009年の西日本大会準優勝、ジェッツジュニアの黄金時代を築きます。この頃の中学生は、パスを繋いでDFから攻撃を組み立てるホッケースタイルを習得し、AZ・NZ・DZを意識したホッケーができていました。小学生は中学生のホッケーに憧れを抱き、チーム内で良い循環ができていたように思います。その後2013年までは、中学生・小学生共に近畿大会及び西日本大会での優勝はないものの、いずれかが3位以内に入ります。2014年以降は一時的な部員の減少などもあり低迷、2016年の第42回西日本大会で小学生が準優勝したことを最後に主要大会での優勝・準優勝はありませんが、子供たちのおかげで自身の目標は達成できたと思っています。
 でも今思えば、たまたま意欲的でスキルが高い選手が多かった時期に監督をさせてもらっただけかもしれません。幸せ者です。
 監督になって最大のピンチは、2006年5月に県内唯一の通年リンクであった姫路アリーナが営業を休止し、同年9月に廃業したことです。ホームリンクである神戸ポートアイランドSCはシーズン営業、近畿圏内の通年リンクをさまようしかないのかと思っていたところ、同年7月に関西大学リンクがオープンします。保護者の電話攻勢で何とか練習枠を確保できましたが、練習は土曜日の朝5時30分から。リンクは大阪府高槻市にあるため、遠い者は朝3時半頃に自宅を出発しなければならず、小さい子供はリンクで寝てしまうこともありました。朝早くて大変でしたが、途切れることなく練習が続けられたことは幸いでした。関西大学リンクでのオフシーズンの超早朝練習は、通年リンクである西宮アイスアリーナが開業する2013年夏まで続きました。
 18年間の監督生活のなかで最も残念だった事は、2013年を最後に中学生チームを編成でていないことです。女子は中学生チームでプレーできないこと、GKを育成できなかったこと、中学受験などが影響しているのでしょうが、この間の中学生は県内の他チームで試合に出場させてもらってはいますが、ジェッツジュニアのユニフォームで最後の試合をさせてあげられなかったことは私の力不足であり悔しくてなりません。人数は少ないですが、来シーズンは7シーズンぶりに中学生チームが編成できるようです。どんなホッケーが見せてくれるが楽しみです。
 思い出を書けばきりがありません。
 姫路アリーナでの夏合宿、中学生の日光遠征、選抜チームでの全国大会出場、その時々には悩んだこともあったのでしょうが、すべてが貴重な体験であり、自分の成長の糧になりました。それもこれも、保護者やOB、チームスタッフをはじめ、チームを支えてくださった多くの関係者のおかげです。心から感謝いたします。そして何よりも家族にお礼が言いたいです。私の『ホッケーばか』ぶりに半ば呆れながら「ホッケーなら仕方がない。」と理解?してくれました。感謝しかありません。
 このブログの数少ない読者(笑)の皆様にも感謝申し上げます。最初は嫌々書き始めたのですが、ブログの感想などをいただき、「楽しみにしていただいている方がいるなら」と続けることができました。ブログを書くことが試合の振り返りになり次の試合に向けての課題を再確認することができました。このブログは『監督・コーチの氷上日記』となっていますが、書いていたのは私だけです(笑)。私が書くのはこれが最後になりますが、スタッフの誰かが続けてくれることを願っています。
 私は、ジェッツジュニアからは離れましたが、ホッケーを辞めた訳ではありません。関西オールドタイマーリーグでプレーを続けていますし、兵庫県のジュニアの試合ではレフリーをすることもあります。今のところ指導をする予定はありませんが、オファーがあればまた指導もしてみたいと思っています。リンクで見かけましたら、ぜひお声掛けください。
 
 最後に、ジェッツジュニアの未来を担う子供たちへ
 君たちがプレーできるのは、ご両親、チームの仲間、チームスタッフ、そして多くの関係者の協力があってプレーできるのです。すべての方々に感謝と尊敬の気持ちを忘れないようにしてください。そして、氷の上では、自分を信じて、仲間を信じて、チームスタッフを信じて、誇りと自信を持ってプレーしてください。
 
 30年間、ありがとうございました。

令和2年(2020年)10月
神戸ポートアイランドジェッツジュニア 前代表兼総監督 田中 義弘